フラワーエッセンスとは?

メンタルケアためのの自然療法

フラワーエッセンスとは

イギリスから来た

メンタルケアのための自然療法です。

 

 

イライラや落ち込みといった

軽い心の問題から、

うつやトラウマ、パニック症状まで癒やす、

お医者様が開発したシステムです。

 

 

英国王室も御用達の

副作用のない自然療法なので、

ナチュラル志向の方や

病院や薬が苦手な方にもとても人気です。

 

 


誰でも安心して使えます

副作用、依存性、習慣性等の

禁忌事項がないので、

赤ちゃん、妊婦さん、動物、

植物にも安心して使え、

他の治療法や薬とも併用できます。

 

 

基本的にフラワーエッセンスは無味無臭です。

保存料にブランデーまたは植物性グリセリン

メーカーによっては塩が入っている場合が

ありますので、保存料の味と香りがします。

 

 

直接舌下に垂らして飲むか、

水やハーブティーに入れて飲みます。

 

 


花と水と太陽のコラボレーション

いま世界には400以上の

フラワーエッセンスのメーカーがあり、

製造方法も多種多様。

 

 

花だけではなく、クリスタル等の鉱物、

イルカ等の海洋生物、

惑星やミステリーサークルの

エッセンスもあります。

 

 

その中でバッチフラワーは、

バッチ博士が「誰でも作れるように」

考案した作り方を、

1936年以来ずっと守り続けています。

作り方は以下の2種類。

 

 

《サンメソッド/太陽法》

よく晴れた朝、

自然の中で育った花を摘み、

天然水を満たしたガラスのボウルに

花を浮かべます。

 

 

太陽の下に2~4時間置き、

花のエネルギーを転写させます。 

花を取り除き、

同量のブランデーを加えたものが、

母液(マザーティンクチャー)になります。

 

 

《ボイルメソッド/煮沸法》

純粋な水をはった鍋に花を枝ごと入れ、

30分ほど煮沸し、

花を取り出して漉したものに、

同量のブランデーを加え、

母液を作ります。

 

 


こんな方におすすめ

 

☑仕事、恋愛、子育て、人間関係に悩んでいる
☑ 自己肯定感が低い
☑トラウマやインナーチャイルドを癒やしたい
☑病気や妊娠中のメンタルケアをしたい
☑ 人生の目標、使命に悩んでいる
☑ お金のブロックを取りたい
☑ なるべく薬に頼らない自然療法に興味がある
☑ペットや植物のストレスケアをしたい
☑ 自分の本当の人生を生きたい
☑ すべての悩みを手放して、愛と感謝に満ちた日々を送りたい 

 

 

 

 


創始者エドワード・バッチ博士(1886-1936)

20世紀初頭、

西洋医学に限界を感じた

イギリスの医師

エドワード・バッチ博士が、

「病は気から」の

「気=エネルギー」を癒すことで、

人々を心身ともに健康にするという、

フラワーエッセンス自然療法を

確立しました。

 

 

英国王室をはじめ、

世界中で愛されている

フラワーエッセンスを、

博士はどのうように

生み出したのでしょうか?  

 

 

 


 1886年9月24日イギリスバーミンガム近くモーズリー生まれ。ウェールズ出身の家系だったことから、ウェールズ人気質、即ち愛、優しさ、独立心、自然の神秘への関心を受け継いでいました。

 

 

幼い頃から人を癒す仕事をしたいと思っていた彼は、16才で学校卒業後、父親の経営する工場で3年間働いて学費を稼ぎ、バーミンガム大学で医学の学位を取得。ロンドンののユニバーシティ・カレッジ・ホスピタルで医師の資格を取得し、1913年~18年まで同病院に在籍。その頃最初の妻と結婚し、娘が誕生。

 

 

また1914年には、ハーレーストリートに個人診療所を構え、細菌学者、病理学者としてワクチン開発に取り組みました。

 

第一次世界大戦が始まり、彼も参戦しようとしますが、虚弱体質のため叶わず、大学病院で負傷兵の治療に当たります。その頃娘が生まれ、妻は亡くなり、再婚します。

 

1917年(30歳)、過労で胃ガンになり、余命三ヶ月を宣告されます。それでもなお、彼は残された時間を研究に打ち込むと、不思議なことに、病気が回復。

 

 

「健康の秘訣は、自分の使命を自覚すること」。彼はその時、そう確信したそうです。

 

 

 

 


その後、病気を見て、人を見ない医学に限界を感じた彼は、 1919~1922年、王立ホメオパシー病院の細菌学者のポストにつき、現在でも使われている7つのバッチ・ノソッヅと呼ばれるワクチンを開発。

 

「ハーネマンの再来」と呼ばれる天才ホメオパスとして、その名を知られるようになりました。

 

しかし、やがて彼は、元は病原体であるワクチンよりも、もっと純粋なレメディを探し求めるようになります。この頃、2番目の妻と別れています。

 

 

 

1928年、博士はあるディナーパーティーで啓示を受けます。大勢の客を観察していると、いくつかのタイプに分けられ、それぞれのタイプが、異なる病気にも同じように反応するだろう、というインスピレーションを受けたのです。

 

 

同年の秋、彼はウェールズに行き、そこでインパチエンスと、ミムラスを見つけました。

 

 

ロンドンに戻った博士は、ホメオパシーの作り方でこの2つのレメディを作り、性格タイプに即して患者に処方したところ、大変良い結果を得たのです。

 

 

同年、そこにクレマチスが加わり、この3つのレメディで治療を開始。

 

 

1930年、医学の新しいシステムを自然の中に見つけるため、博士はハーレーストリートの診療所を閉め、ロンドン、そして医学界を去ります。

 

 

 

 


同僚のノラ・ウィークスと共にウェールズの山々を歩き、沢山の植物を観察しました。

 

 

その頃、博士の直感力は非常に研ぎすまされ、触るだけで植物の波動を感じ取っていました。

 

 

そして朝露に濡れた野原を歩いていたとき、太陽に加熱された朝露に、癒しの力があるというインスピレーションを受けたのです。

 

 

「地球の栄養と空気で育まれる植物が、

太陽あるいは火で効用が導き出され、

水によって集められるヒーリング成分。 

 

研究が進むにつれて、あらゆる創造がシンプルであることに

気づかされるでしょう。

 

このメソッドがシンプルであるからといって、

使うのをためらわないでください。」

 

(『ホメオパシーワールド』寄稿記事より)

 

 

その後、春、夏はエッセンスを探し、冬はそれを求める人に、貧富を問わず、無料で与えるという、季節に寄り添ったヒーラーの生活をしました。

 

 

そして、患者の性格や感情を癒せば、体の物理的な苦痛も緩和されることを確信していきました。

 


「病気とは、自分のスピリチュアルな目的と対立した結果である」


(『汝自身を癒せ』より)

 

 

 

 

 


1934年、オックスフォードシャー州のマウントバーノンに移住し、残りの19のレメディを発見。

 

その見つけ方は、まず彼自身が特定のネガティブな感情に陥り、それを癒す花や植物を、ひとつづつ自分で試して発見する方法でした。

 

聖なる自己犠牲を通して、1935年、彼は仕事を完成させました。

 

 

1936年、『トゥエルブヒーラーズとその他のレメディ』を執筆。

 

 

すべての仕事を完成させた彼は、その年の11月27日、心不全のため50歳で永眠しました。

 


「自分の仕事は完成した。合計38種類のレメディは、全ての精神状態と性格を網羅しており、レメディのシンプルさが保たれるように」とノラに言い残しています。

 

 

この言葉に従い、バッチフラワー協会となったマウントバーノンの自宅では、現在でも新たなレメディは作られず、バッチ博士の想いが受け継がれています。

 

 

「力で欠点を押さえつけようとすると、
そこばかり気持ちがいくようになり、
苦しい戦いを強いられることになります。

 
自分の欠点を気にしないこと、そして、
欠点が出てくる隙もないほどの美徳を育てる努力を、
意識的にすることが本当の勝利です。」

 

(『汝自身を癒せ』より)